最高裁判所第二小法廷 昭和61年(行ツ)68号 判決 1986年10月17日
上告人 和田安雄
被上告人 土岐市
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人小出良熙の上告理由第一について
国民健康保険法(以下「法」という。)上、保険者は、療養取扱機関から療養の給付に関する費用の請求があつたときは、法四〇条に規定する準則及び法四五条二項に規定する額の算定方法に照らして審査した上、これを支払うものとされているところ(法四五条四項)、右審査は、請求に係る療養取扱機関の療養の給付が法四〇条に規定する準則に適合しているかどうかという実質的審査に及ぶものであることは、右審査に関し法四五条五項、八七条ないし八九条等の規定を設けている法の趣旨に徴して明らかである。保険者には右準則適合性について実質的審査権が与えられていないとの見解を前提とする所論違憲の主張は、その前提を欠く。原判決に所論の違法はなく、論旨は採用することができない。
同第二について
法の規定する国民健康保険制度の下においては、療養取扱機関は、保険者との関係において法四〇条に規定する準則に適合する療養の給付を行うべき責務を負担しているものであり、被保険者が保険者から法三六条所定の療養の給付として受け得る診療の内容も右準則による制約があるものというべきであるから、療養取扱機関が被保険者に対し療養の給付として行つた診療行為が客観的にみて右準則に適合しないものであるときは、当該診療は、法所定の給付には該当せず、したがつて、被保険者が一部負担金の名目でその費用の一部を療養取扱機関に支払つているとしても、これについて法五七条の二所定の高額療養費の支給を受け得る余地はないものといわなければならない。これと同旨の原審の判断は、正当であつて、原判決に所論の違法はない。論旨は、ひつきよう、独自の見解に基づいて原判決を論難するものにすぎず、採用することができない。
よつて、行政事件訴訟法七条、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判官 島谷六郎 牧圭次 藤島昭 香川保一 林藤之輔)
上告理由
はじめに
本件上告理由は、原判決は憲法の解釈に誤りがあり、かつ、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令の違背があること(民事訴訟法第三九四条)を理由とするものである。
第一本件行政処分が憲法に違反していること
一 (三権分立の原則に違反している点)
1 昭和三三年一二月二七日、国民健康保険法(以下法という)が改正された(法律第一九二号)。
本件に関連する点を要約すると、改正前は、「保険者ハ…診療報酬ノ額ヲ定メ」ることとなつていたのが、改正後は右の規定が削除されたことである。
即ち、改正前の法第八条の六は次のように定められていた。「保険者ハ療養担当者ト協議ノ上厚生大臣ノ定ムル標準額ヲ基準トシテ適正ナル診療報酬ノ額ヲ定メ都道府県知事ノ認可ヲ受クベシ」
即ち、「保険者ハ…診療報酬ノ額ヲ定メ」ることになつていたのである。
そして、この規定は、昭和三三年に次のように改正され、今日に至つている(法四五条)。
「保険者は、療養の給付に関する費用を療養取扱機関に支払うものとし、療養取扱機関が療養の給付に関し保険者に請求することができる費用の額は、療養の給付に要する費用の額から、当該療養の給付に関し被保険者が当該療養機関に対して支払わなければならない一部負担金に相当する額を控除した額とする。
前項の療養の給付に要する費用の額の算定については、健康保険法第四三条ノ九第二項の規定による厚生大臣の定めの例による」
右の「厚生大臣の定めの例」とは「健康保険法の規定による療養に要する費用の額の算定方法」(昭和三三年六月三〇日、厚生省告示第一七七号―以下点数表という)のことである。
そして、法四五条の定めを要約すると次のとおりとなる。
<1> 保険者は、医療機関に診療報酬を支払わねばならない。
<2> 医療機関が保険者に請求できる診療報酬額は、「療養の給付に要する費用の額」から一部負担金を控除した額である。
<3> 医療機関が請求する際の「療養の給付に要する費用の額」は、医療機関が点数表に基づいて算出する。
即ち昭和三三年の法改正により、「療養に要する費用は、保険者が算定するものではない」ことが明確にされたのである。
2 ところが、右改正に先つ昭和三三年一二月四日には、「診療報酬請求に関する審査について」(昭和三三・一二・四保発第七一号厚生省保険局長)が発せられた。
右通牒は、
「診療行為の種類、回数または実施量等については、療養担当規則に照らして不当と認められる部分につき、減点査定すべきことは当然であること」
というものである。
そして、右通牒は、今日まで生きつづけ、診療報酬明細書(レセプト)を審査するに当たつて決定的な役割を演じつづけていることは、被上告人も自認するところである(被上告人の第一審に於ける第一準備書面一六頁以下参照)。
ところで、右通牒が述べていることは、要するところ「療養に要する費用は保険者が之を算定す」ということに帰するし、現に今日までそのとおり運用されている。
3 右通牒は、前述した昭和三三年一二月二七日の法改正、即ち、「療養に要する費用の額は保険者が算定するものではない」に違反するものである。
従つて、右通牒に基づく行政手続きも法に違反するものとなる。
本件行政処分はまさに右通牒に基づいて減点査定をしたものであるから、違法を免れない。
行政府は、立法府の決めた法律を曲げることができないのが、憲法の定めた三権分立の大原則である。
しかし、本件では、一片の通牒をもつて、立法府の定めた法を無視したものであり、三権分立を定めた憲法に違反するというほかない。
この憲法違反の状態を肯認した原判決も憲法に違反するものである。
第二原判決には、明らかな法令違背があること
一 (法四二条の規定に違背する点)
1 法四二条の規定を、本件にあてはめて表現すると、次のようになる。
上告人は、西尾病院に対して、「その給付を受ける際」即ち、治療を受ける際に、法規により、算定された額の十分の三に相当する額を一部負担金として支払わねばならない(第一項)。
逆に、西尾病院は、「前項の一部負担金の支払いを受けなければならない」(二項)。
即ち、上告人は、西尾病院で治療を受ける際に、一部負担金を支払うことを義務づけられており、西尾病院は、上告人より、右の一部負担金の支払いを受けるよう義務づけられている。
2 それでは、上告人の支払義務のある一部負担金の「額」、西尾病院が支払いを受けるよう義務づけられている一部負担金の「額」は、誰が決定するのであろうか。
法四二条に定める「一部負担金」の額を定める主体が、当該療養取扱機関であるということについては、おそらく誰にも異論があるまい。
そしてもし仮に、上告人が、右の支払義務を怠るとすれば、保険者である被上告人から、徴収金の例により支払いを強制されることにさえなるのである(二項後段)。
3 このようなことから、翻つて法四二条を眺めてみると、一部負担金の額は、療養取扱機関が算定するものと規定されている結果となる。
つまり、本件のように、保険者がこれを算定するのは、明らかに、法四二条の明文に反するものである。
4 このことは、前述(第一の一)した法改正の経緯に鑑みても肯首されるところであるし、他の法規(医療の公費負担法関係)と比較しても明白である。
(一) 例えば生活保護法の規定をみてみよう。
生活保護法五三条一項は、「……知事は、指定医療機関の診療内容及び診療報酬の請求を随時審査し、且つ、指定医療機関が……請求することができる診療報酬の額を決定することができる。」と定め、二項では、「指定医療機関は、……知事の行う前項の決定に従わなければならない。」と定めている。
重要なことは、ここでは「知事は、診療報酬の額を決定することができる」と書いてあることである。
国民健康保険法のどこをみても、本件のようなケースで「保険者が、診療報酬の額を決定できる」旨の規定は存在しない(療養費払―法五四条については別に説明する)。
生活保護法のこのような規定の体裁から、実際の治療においても医師は、医療扶助を受ける患者を治療する場合には、あらかじめ治療計画を提出し、知事の決定を得てから、その決定どおりの治療を施しているのである。
(二) 法五四条の規定
法五四条は、いわゆる療養費払を規定したものである。
医療保険における医療の保障、即ちその給付は、医療そのものを給付の内容とする現物給付が原則である(法三六条)。
しかし、法は、例外的に現金給付を認めた。
それが法五四条である。
例外とされるのは、法五四条が定めるように、被保険者が緊急な場合で、保険医の医療治療を受けられず、非保険医の治療を受けざるを得なかつた場合や(一項)、保険医にみてもらつた場合でも、やむを得ぬ事情で、保険者証を提出できなかつた場合(二項)には、被保険者は、とりあえず当該医療機関に治療代を支払い、あとで、保険者が被保険者に療養費として、現金を給付するというのである。
この例外の場合の「療養費の額は、療養に要する費用の額から、その額に一部負担金の割合を乗じて得た額を控除した額を基準として、保険者が定める」(三項)というのである。
この場合、療養費の額を保険者が定めるのは、当然であろう。
何故ならば、このような場合の医師は、保険診療ではなく、自由診療をしたのであり、点数表にとらわれることのない診療をしているのであるから、治療の範囲及び費用は、法(具体的には点数表)による保険診療の制限を越えているかもしれないからである。
(三) このようにして、療養取扱機関以外の機関、例えば保険者が、療養費を算定できる場合は、明文の規定を置いている(生活保護法五三条・法五四条)のが現行法の態度である。
しかし、本件の場合には、療養費を「保険者が算定できる」という規定がないのであるから、保険者は、療養費を算定することができず、従つて、減点査定はできないことになる。
それにもかかわらず、被上告人は減点査定の処分をしたのであり、そして、原判決はそれを是認する態度をとつた。
右原判決は、明らかに法四二条に違背するものである。
二 (医師法第一七条・第二〇条の規定に違背する点)
1 医師法の一七条は、「医師でなければ、医業をしてはならない」と規定し、同法二〇条は、「医師は、自ら診察しないで治療……してはならない」と規定している。
2 原判決がいうように、仮に、被上告人が減点査定をすることができるとするならば、医師でもない被上告人が、治療の内容に立入り、治療の内容を左右することになり、これは医師法第一七条に違反するか、少なくとも、その趣旨に著しく反する結果となる。
被上告人が、仮に医学の専門知識を有する者のアドバイスにより、減点査定をしたとしても、その専門家は、当該患者(上告人)を診察していないのであるから、医師法二〇条に違反するか、少なくとも、その趣旨に著しく反する結果となる。
三 (法四〇条の規定に違背する点)
1 原判決は、第一審判決の認定を引用しているが、第一審判決は次のとおり認定している。
「療養取扱機関は、右契約上の義務履行にあたつて、健保法四三条ノ四の一項のほか、同条ノ六の一項の委任を受けて制定された療養担当規則に準拠して所要の治養等を施用すべき責務を負担するものであり、他方、被保険者は、該機関から法に依拠する療養の給付として療養担当規則に適合した治療等の施用を受けるべき法律上の権利を有するものであつて、これらのことは法四〇条に徹してきわめて明らかである。」(二一丁表)
「仮に、療養取扱機関が被保険者に対して療養担当規則に適合する旨の自主的判断に依拠して一定の治療等を施用したとしても、該施用にかかる治療等が客観的に療養担当規則適合性を欠くものである場合においては、当該治療等の施用は、ひつきよう法所定の療養の給付には該当しないものと評価するのほかはなく、……」
即ち、療養取扱機関が療養担当規則適合性を欠く治療をした場合、被保険者が受けた治療は、法所定の療養の給付に該当しないから、被保険者は保険者に対してその責を負わなければならないという結論に至つている。
2 しかし、被保険者=患者=上告人が療養担当規則に拘束されるいわれは全く存しない。
その理由は次のとおりである。
<1> 療養担当規則は、医師には周知徹底されているであろうが、一般国民である患者には周知徹底されていない。
現に、保険証には、診療が制限される旨の記載はない。
仮に、一般国民に徹底されたとしても医師でない一般国民は理解できない。
仮に、それを理解する国民がいたとしても、重症患者などに(上告人は重症患者であつた)、いちいち投薬名・投薬量をチエツクさせることは非現実的である。
従つて、療養担当規則は、患者に対して規範たり得ない。
<2> 仮に、医師に対する減点査定が許されたからといつて、患者である上告人に対してまで減点査定の効果を及ぼすことは「保険金給付制度」の趣旨に著しく反するものである。
「保険金給付制度」の目的は、被保険者(患者)に保険事故が生じたときに、保険者が補填給付(国保の場合、原則として医療の現物給付)をすることである。
そして、上告人は、保険事故の発生により、保険者である被上告人から、西尾病院を通じて現物給付(昭和五四年一〇月中に合計一一本のヴエノグロブリンの投与)を受けた。
被上告人は、現物給付の量が多過ぎたから、返せ(現実には支払うべきものを支払わぬ)というのである。
保険事故の危険負担は保険者が負うべきであるから、条理からいつても、保険事故の危険負担実行中の(保険契約履行中の)「事故」の責任は、保険者(上告人)が負うべきである。
また保険者(被上告人)は、被保険者(上告人)に対し、保険契約上適正な診療を給付する義務がある。
保険者である被上告人は、自ら適正な診療を給付しなかつたといいたてておきながら、つまり自ら保険契約上の義務を遂行しなかつた旨を声高に主張しながら、その責任を負おうとせず、上告人に損失を押しつけようというのである。
3 以上の次第であるから、原判決のこの点についての判断は、著しく条理にも背き、また、療養取扱機関に対して適用すべき法規を、被保険者である上告人に適用した誤りをおかしているといわなければならない。